受験勉強で本当に得るものとは

かんきち(@kankichi)さんのわかったブログ!のエントリ社会人として大切なことは、みんな受験勉強で教わったがすごくいい内容書いてあったので紹介したいと思います。

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受験のためになにかする、という行為そのものに価値がある

全文いい内容なので元記事読んでもらいたいんですが、骨格部分を当該エントリから一部抜粋。

「勉強の仕方」を考えることは社会で役に立つ

最近はパソコンやインターネットの普及で、覚えることよりも「考える」ことの方が重要だと言われています。確かにその通りだと思います。計算に必要な定数や係数を覚える必要性は下がっています(円周率や√2ぐらいの基本値は覚えておいたほうが便利でしょうけど)し、ワープロ技術が向上しているので、漢字も厳密に覚える必要は無いでしょう。時代に合わせて、試験問題の内容は変わっていくべきだと思います。

ただし、それは入試問題の「質」の問題であって、受験勉強のすべてが無意味と結論つけるのは短絡的です。受験勉強の本当の意味は「志望校に受かるために、自分で勉強プランを考えること」にあると私は考えます。

(中略)

「知っている」ことは、可能性につながる

高校時代に学ぶ量は、小中に比べてかなり多いです。高校のテキストを最初の一ページ目から読んで勉強していては、日が暮れてしまいます。受験勉強で志望校のテストの傾向に沿った勉強をすることで、闇雲に無駄な勉強をすることは防げます。受験勉強は効率よく知識を吸収するための補助線になるのです。

人は、自分が知っていること以外のことに興味を持つことは少ないです。断片的にでも知識を持っていれば、それが興味のフックとなります。関連した内容と出くわしたとき「あ、これ勉強したことがある!」と思えるか思えないかは、長い人生では大きな差になってくるでしょう。

あーなんかすごく納得というかしっくりきた。

目標を設定してそこにたどり着く方法を自分なりに考え実践してみる、ってのは何歳になってもかわらないことですからね。30も半ばをすぎて私もようやく「実感」として分かるようになりました。遅すぎですねw

成功することが成功体験ではないと思う

ちなみに私の受験のことを思い出すとあまりまじめに勉強してなかったかも。

一応高校まではまじめに学校行ってたし風邪でもひかなきゃ休むことはなかったです。基本的に家に帰ってからなにかするってのがあまり好きではなかったので、授業のときは真剣に先生の説明を聞いていたような気がします。あと授業の前後の数分で教科書をパラパラとめくって眺めるくらいのことはしてました。

あと中3のときだけは1年間進学塾に行ってみました。とはいえ、これも「頑張って勉強するぞ!」というより「友達行ってるから俺も行こうかなー」くらいの感じでした。

そんな感じで学校の試験とか成績関係で深刻な評価になることはほとんどなく(高3の微積分だけは例外)それなりに通ってきました。そのときはそれでいいと思ってたんですけど、今にして思うとこの「それなり」ってのは曲(くせ)者だったなぁ、と思います。

そんな「それなり」だったので高校受験でも大学受験でも一応進学できるであろう学校はそこそこあったわけですね。いけるところがあると思うと安心してそれ以上の努力をしない。ほんのちょびっとだけ入学試験前に勉強し、結果当時「志望校」としていたところには進学できてきたわけですが自分の心の中に「よし、やってやったぜ!」っていう実感はなーんにも残りませんでしたね。

思うに自分の飛べるとわかってるハードル飛んでも意味ないわけで、技量向上するためにはハードルの高さ上げなきゃならないし、飛べなかったときに自分のフォームなり走法を見直してみることが大事なんですね。でそういった努力を実体験することによってはじめてハードルを飛べたときの感動があるわけで。成功体験て言うのはつまり、成功したという結果そのものをいうのではなく目標をクリアするために自分が行った試行そのものなんですね。まぁ当たり前のことっちゃ当たり前なんですけど。

そんなわけで、自分も今思い返せばもっと高い目標を設定してもよかったのかなー、なんて反省している次第です、ハイ。

受験は「今しかできないもの」でもある

社会に出れば本業以外に何か一つに専念して勉強するって言うのは時間の制約の中ではなかなか厳しくなってきます。そういった意味では「割と自由に自分の時間・目標設定を自分でコントロールする」訓練は受験の今くらいしかできないことですし、良いチャンスでもあると思います(もちろん社会に出て厳しい時間の制約の中でもやるべき仕事はやらねばなりませんョ)。もちろん私などはこのチャンスを逃したクチですw

今試験を目前に控えている若者に結果が出る前から「結果は気にしないで気楽に行こう」とは言いません。結果を気にして目標に向かってガンガン攻めましょう。軟らかい頭と多少の負荷を乗り越えられる気力・体力も今ならではです。今だけは多少の無理はきくものです。

そしてどういう形であれ試験が終わったら、そんなキミタチにこう言いたいです。「受かっても落ちてもそこに向かって自分で何かしたことから得るものは必ずある。それがキミタチの財産だ。何もしてない人は結果はどうあれ得るものはないのだ」と。これが元記事で言ってる「興味のフック」になるところですね。

人間は一度逃げると間違いなく逃げ癖がつきます。そういう人はいくつになっても自分のできることだけで用を足すか人に頼るかばかりです。そんな人になっちゃいけません。逆に今目前の問題に向き合うことができればこれからも自分で道を切り開くことがきっとできるようになります。

私はジョセフ・ジョースターなみに「努力」と「ガンバル」という言葉が嫌いですがあえて言います。受験生、騙されたと思って今だけ頑張ろう。

付け加えておきますと上のマンガの50年後、ジョセフは「若いころから作戦上逃げる事はあっても 戦いそのものを途中で放棄したことは決してない」と言ってます。かっこいいね!

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