明和電機社長土佐信道さんがとても興味深いツイートをしていました。FBのいいね!に関するツイートです。
いや、わたしもFB使ってるし、しばしばいいね!もするんですよ。私のブログにいいね!してくれればそれなりに嬉しいし…
ただ、ブログ書いてシェアするごとに速攻いいね!してくれる人がいて、でもコメントが有るかというとそうでもないし、その人に再シェアされるわけでもない。一体この人は私の記事の何にいいね!をしたのか。FB特有の実名でリアルのお付き合いに近い空気から社交辞令的にいいね!を押しているのかなんなのか…
Facebookは誰もが紙幣を発行できる世界
以下が土佐さんの一連のツイートです。
映画「TIME」のように、生まれたときに人間が「1000いいね!」ポイントはしか持ってなかったら、人を評価することにもっと慎重になるのだろう。
— 明和電機さん (@MaywaDenki) 3月 3, 2012
いいね!は「言い値」、つまり発行しほうだいの紙幣のようだ。
— 明和電機さん (@MaywaDenki) 3月 3, 2012
いいね!RT@maywadenki いいね!は「言い値」、つまり発行しほうだいの紙幣のようだ。
— 明和電機さん (@MaywaDenki) 3月 3, 2012
あ、ちなみに私は映画「TIME」は見ていません。あらすじはこんな感じらしいです。
科学技術が進歩したことにより老化現象を解決した近未来、25歳で生体の成長が止まると余命はあと1年という社会が構築されていた。富裕層は寿命を気にしなくていい一方、貧しい人々は寿命を延ばすためにあくせく働き続けなければならなかった。貧しい青年のウィル(ジャスティン・ティンバーレイク)は、時間と引き換えに裕福な男性を殺した容疑を掛けられ、追われる身となってしまい……。
以上シネマトゥデイより引用。まぁこの記事の本筋とはあまり関係ありませんが、一応。
さて。日本国の通貨単位は円です。流通する紙幣や硬貨は日本銀行だけが発行します。私がそれにそっくりな紙幣(偽通貨)を作ったらおまわりさんに逮捕されてしまいます。どうしてでしょう?
人を騙してものを搾取するのが悪いことだから?まぁモラリズムとしてはそうでしょう。しかし通貨システムとしてはもっと大事なことがあります。
無際限に作られる偽通貨が本物の通貨と同じ価値を持ってしまったら、通貨そのものの意味がなくなってしまい、通貨制度自体が意味をなさなくなるからです。
これは偽通貨ではなく本物の通貨の流通量が増えても同じです。日本銀行券も増刷ばかり続ければ通貨の価値は下がります。同じ350mlのジュースを買うのに以前は100円だったものが200円になったりします。いわゆるインフレですね。
ジュースの価格が倍になってもジュースそのもの価値が変化するわけではありません。350mlは350mlのままだし、あなたがそれを飲めば甘いとかすっぱいとか感じるのも変わりありません。変わったところというのは通貨の価値が半分になった、というただ一点です。
例えば今日100円だった品物が明日120円になり、明後日には140円になったとしたら、あなたはその通貨を信用できますか?この調子で行くと来年辺りにはその品物を買うのに8,000円くらい必要になるかもしれません。
ものを作るメーカーもその分収益が増えるので社会全体の所得も、通貨単位の上では増えていきます。だから普段の生活では、もしかしたらそんなに困らないかもしれません。
しかし将来引退したときに備えて蓄財しようと思ったら?若くして1,000万円貯蓄しても、40年後にはそのお金で週刊誌一冊買えるかどうか、という価値になってるかもしれませんね。
ですから蓄財をしようと思ったら現金を持つよりも土地や金(gold)、あるいは科学技術が発達して半永久的に保存できる食料があればそれでも…そういった、それ自体の価値が将来的に大きく変わらないであろうものに変えておいたほうが安心なのです。
価値とはどこに見出すべきものなのか
冒頭の土佐さんのツイートにもどって、FBのいいね!が今どんな状態かというと、誰でも発行できる紙幣のようなもの、というのはそういう意味だと私はとらえました。
つまり、いいね!数それ自体に価値を見出すことにはあまり大きな意味はない、ということ。100いいね!が米一俵なら10,000いいね!は米百俵かというと、そうではないのです。せいぜい同一のコンテンツに対していいね!が増えたか減ったか見比べるための一指標に過ぎないのではないのかと。
ここで問題となるのはなんなのか、というと。
単純なことでいうとFBコンサルティングなんかを受けている会社が、コンサルティング業者に1いいね!=100円みたいな為替相場的なものを元に報酬を支払ったりすること…いや、そんなあからさまに酷い阿呆はほとんどいないと思いますけど。
もっと一般利用者の視点で見れば、いいね!数を軸に考えてしまうと本当に有益なコンテンツがなんなのか、ということが見えなくなってしまう、ということもあります。
先に書いた通り、いいね!は乱発しようと思えばいくらでもできます。人がいれば組織的にいいね!を激増させることもやろうと思えば出来ます。
たまたま近くを通り過ぎた第3者がいいね!数を見て面白そうだな…と思ったシェアも、覗いてみたら広告だらけの意味不明なコンテンツだった、なんていうこともあるかもしれません。わずか数分でも時間の無駄ですね。
あるいは、実際読んでみて「役立つコンテンツだなぁ」と思ってたら、実際は全くデタラメが書かれていたりとか。
ITのちょっとしたTips記事くらいならいいですが、金融や証券などに関わる内容なら実経済で実際に損害が発生していしまいます。あるいはサギに引っかかってしまう可能性も。
何より重要な点は、中身も確認してないコンテンツに対してお付き合いでいいね!を押すことで、被害者ではなく間接的にでも加害者側に回ってしまう可能性もあるということです。脊椎反射的なシェアも然り。
被害にあった人間を見て「ネットを使うにはある水準以上のリテラシーが必要だ」とか「ウソをウソと見抜けない人間はネットに関わるべきでない」とか、ある一面ではそれも真理ではありますが、システムに欠陥があるとするならばまずそこを是正しなければならないのではないでしょうか。
これからいいね!がどうなっていくか
じゃぁFBのいいね!システムなんてないほうがいいのか?なきゃないでそれなりに平和に過ごせるかもしれません。
一方でネット全盛のこのご時世、必要とする、あるいは信頼に足る情報を選別する方法論も育っていかねばなりません。情報が足りないのではなく、情報が多すぎてその取捨選択に困る時代です。
googleも日々その検索精度を高めることに心血を注いでいます。googleの目的はいかに情報を多く集めるか、ではなく、無意味なコンテンツを排除しユーザーに必要とされる情報を的確に提供することにあります。
土佐さんのおっしゃるように一人の人が押せるいいね!に制限を設けることでFBユーザーはより優れたコンテンツを選別することになるでしょう。実経済で一般的なサラリーマンの平均年収というのはある金額に収束します。ゆえにお金の使い道に慎重になるのと同じです。お金がないのに人に会うごとにいちいち全員に缶コーヒーをおごってくれるような奇特な人はなかなかいないでしょう。
そんなわけで、今は全然「いくない!」いいね!ですが、1人の人が付けられる日いいね!数を5、6回に制限したら、あるいは1いいね!に現実通貨の定額を課金してそれをコンテンツ提供者に還元するシステム(既存のシステムGrow!はまさにそれ)にしたら、本当に価値あるコンテンツが選別されるようになるかもしれません。
それはgoogleがあるアルゴリズムに基づいてコンテンツ情報を提供するのとはまた違った、人の目によるフィルタリングという新たな付加価値になるでしょう。
実際今のいいね!はなんとなく目新しさも手伝って盛り上がっているようにも見えますが、ユーザー側に飽きが見えてくるのも時間の問題です。っていうかたぶんだいぶ飽きています。この形態がいつまでも続いていくわけがないので、そう遠くないうちにFB側も新たないいね!システムを打ち出してくるんじゃないでしょうか。
賢明なFBユーザーの皆さんはそんな日が来るまで、今しばらく馴れ合いのいいね!に振り回されないよう、FB界隈を生暖かく見守ることにしましょう。
まとめ?
もちろんこの記事に共感したらどんどんいいね!を押して、シェアもしてくださいね!
また私に言っていただければ私の1いいね!を56円で販売することもやぶさかではありません。いいね!数オンリーでイカサマコンサルティングされてる業者の方は是非私にご一報を!
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