『いただきます』という言葉の中にある事実

先日TLに流れてきた、『いただきます』という言葉に関するツイート。気になったので一応拾っておきました。

肉体を構成する物質は何から出来ているか

というのがこのツイート。このやり取り自体が事実かどうかはわかりませんが、随分RTされて拡散しているようです。なんとなく私の心に残るものもありました。

一般的に『いただきます』という言葉についてはこんなとらえられ方がされております。

いただきます

いただきますは、日本における食事前の挨拶である。「もらう」や「受ける」の謙譲語。食事を作った人と食材を作った人への感謝を表す。

語源

食事の際の挨拶は、信仰に基づくものとそうでないものに分けられる。「いただきます」という単純な言葉では、どこまで信仰に根ざしているのか疑問だが、一般に日本で広く知られているのは、アイヌや浄土真宗のようなアニミズム的な解釈、食材となった動物に対しての感謝の言葉であるというものである。浄土真宗による説では、食材である生き物の植物や動物の命を絶ち調理し、それらの命をもらって、それを食べる人間が自分の命を維持し生存することの感謝を表すこととしているが、その真偽は不明である。この説では、それら生き物たちが、彼らの命を我ら人間にお布施として与えてくれるとする。また、食事後は「ご馳走さま(ごちそうさま)」と言い、いずれも合掌と共に言うのが浄土真宗における正式な作法である。なお、仏教一般における食前の合掌とお祈りの本来は、食事を恵む御仏に対する敬意の表れである。「馳走」は食材の調達や調理に「走り回る」事を意味し、その人達への感謝であるとされる。

このように「いただきます」の語源に関しては、慣習的に知られている俗説しか残っておらず、正確に証明できる資料はない。しかし現在の俗説は、後世に創作されたものと考えられることもある。

以上、「いただきます – Wikipedia」より。

そういった俗説的な背景をいわゆる『最近の若者』的な人が知っているかどうかはおいておくとして、現在のところ人間の食事と言うものは動物植物問わず別の命を殺して摂っているというのは紛れも無い事実。食物連鎖の一部である以上、それは他の動植物と人間とで何もかわりません。

飽食の時代と言われて久しいですが、この事実については若い人も年老いた人の区別なく、意識して考えない限り忘れていることが多いのではないでしょうか。

遠い先の未来、人間の栄養源を全て工場で合成して作る時代がもしかしたら来るのかも知れませんが、それまでは人の命も他の何かの命の上に乗っかっているものだということを努々(ゆめゆめ)忘れないようにしたいものです。

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