根拠のない自信を持って良し、と言われて即納得できる人はそもそも根拠のない自信を持っている人であり、あえてそれを説くべき必要のある相手は根拠のない不安を抱えてる人なのだからどこまで行っても堂々巡り、という気もしないでもないのですが。
自信より必要だと思うこと
拝読いたしました以下の記事。
短文ですので引用しません、各自リンク先をご覧下さい。
家入さんが書いて(ると思い)ますから激しく賛同する人と激しく反発する人と多分両極端なんだろうなーとは思います。私が素朴に感じたことだけ列記しときます。
- 根拠のない不安は自分の中だけで倍増してることは確かにある
- 根拠のない不安が本当に大したことあるかないかはケースバイケースだから一般論では語れない
- やってみて初めてわかることもある
- 失敗したからこそ得られるものもある
- だから不安があっても「とりあえずやってみる」ことは非常に大事
- 「とりあえずやってみる」の一方で想像しうる範囲のリスクマネージくらいは考えておいたほうが良い
- 「根拠のない自信を持つ」人はリスクマネージが甘い人かもしれない
- リスクマネージの甘さで自分が死ななくても他人が間接的に死ぬことはあるかもしれない
- 人の命の重みが加わると必要なのは自信というよりは一蓮托生の覚悟かもしれない
散文的ですみません。
「死ぬ」って中には肉体的な死もあるでしょうし復帰不能な「社会的死」なんてのもあろうかと思います。
「根拠のない」ものは自信も不安もいずれも持つべきではないだろうし、どんな形であれ「自信を持ってる人」よりも「覚悟した人」のほうが諦めない勝負強さがあるし失敗も取り返しやすいし支える周りの人間もより当人を信頼できるんじゃないかな、などと私は日頃思ってたりしてちょっと違和感を感じたので一応一言書き残しておきました。特に他意はありません。ここに書いたとおりです。
んじゃまた。
コメント