共有すべき価値のある情報とは

ビジネスにおける情報共有の基本標語として「ホウレンソウ」なんて言葉があります。なんのこっちゃい、という人に説明しておくと「報告・連絡・相談」の略です。

最近ではこれに「打ち合わせ」がくっついて「ホウレンソウダ!」なんて標語になったりしてることもあるようです。

日頃から一緒に仕事をする仲間はコミュニケーションを密にして情報共有度を高めなければならないのは間違いないのですが、「ホウレンソウ」を実行している「つもり」でもなかなか仕事が上手く回らない…そんな悩みを抱えてる管理・監督職の方も多いのではないでしょうか。

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「あ、ヤバイ、何とかしなきゃ」がヤバイ

以前勤めていた会社で、先輩職員に言われたこんな言葉。とある鋼構造物製造業、私はそこの設計職に別の部署から異動になってまだ日も浅かった頃の話。

「良い報告なんて後回しでいい、悪いことほど早く連絡してくれ」

私の書いたとある製品の製作図で設置現場と不整合があって取り付けられない、というトラブルがあったときです。先輩職員は私より一回りほど年上の、その案件の担当営業でした。

私あてに現場から一報があったとき、私は連絡をよこした現場の人間と直接やり取りして何とかその場を収めようとしていました。ところがお客さん経由でその担当営業のところにも遅れて連絡が行っていたのですね。

トラブルの原因と処置を言っておくと、お客さんからの支給図面に不明確な点があったにもかかわらず、私が確認も取らず思い込みで「いつもどおりのアレでいいだろう」と製品の製作図面を書いたところにありました。最終的にはその製品は一旦持ち帰りとなり、工場で改造して後日再出荷・据付となりました。ちょっと「軽微」とはいえないような失敗ですね。もちろんこちらのミスなので、その費用は完全に持ち出しです。

担当営業としては、お客さんとの工程変更の打ち合わせもあるし、余計な作業が発生するから人員の心配も、機材のリースも、そして当然お金の心配もしなきゃならないわけです。ところが私は目前の事象だけ何とかしようとして報告を怠ったわけです。実際その辺の後始末はその担当営業がしたわけですし。

今思い返せば「自分の失敗なので自分で何とかしなければ」「こういうときこそ指示を待たず自ら行動」などととんでもない勘違いをしていたわけですが、担当営業に先の言葉を投げられて私はハッとなりました。私の行動の裏には「失敗ことをできるだけ人に知られたくない、拡散されたくない」という心理がはたらいたのも間違いありません。

良いことばかり報告したがるのが人情

この件一件落着したあと、その担当営業の先輩とちょっとした雑談的をしたとき、こんな言葉もいただきました。

「人間っていい格好したがるから良い報告はすすんでするよね、そんなときだけ声でかくなってね。逆に失敗したことは隠したがる。でもビジネスってお客さんあっての事でしょ?お客さんから見ればこっちの社内の誰が失敗したとか誰の責任だとかそんなことどうでもいいんだ。一旦社外に出たことは全て会社の看板で背負わなきゃならないんだよ。誰の失敗だろうと放置すれば傷は深くなる一方だ。」

「上手く行ってることは報告なんて必要ない、だって放っておいても現に上手く行ってるんだから。悪いことは放っておいても絶対に良くなることはない、それ以上悪くなることはあるけどね。だから報告連絡の優先順位を間違えちゃいけない。悪くて重篤なことほど早く、確実に、だ。独りで解決できることなんてたかが知れている、だからこうして会社とか組織として人が集まって仕事をしてるんだ。他力本願になっちゃいけないけど、お客さんに間違いのない、良い品質のものを納めることが最優先事項だ。だってそれでお客さんから金をもらい、会社から給料もらって飯喰ってるんでしょ。」

こうして文章にすると当たり前すぎるほどに当たり前なのですが、個人の資質とか自己責任とか成果主義とか、そういうことを「やみくもに」言われる時代になるとつい見落としてしまいがちな点でもあります。

当時の私は同じく設計志望で入社した同期とはちょっと違う方向に寄り道をしていて、設計の現業に就くのが2年ほど遅く、早く仕事が出来るようにならねば、他人の足を引張らないようにせねば、というもの凄いあせりがありました(あるいは、希望通りでない道を歩んだちょっとした挫折感もあり、早くその境遇から脱出したいと言う思いもあったかもしれない)。

この件における私の最大の失敗は「支給図に不明確な仕様があったにもかかわらず、独断でスルーした」ところであるのはもう明らかなわけで。トラブル後の報告の悪さ以上にスタートで「トラブルの種」を摘み取れなかったことです。本来ならばこの時点で担当営業に相談するなりお客さんに質疑を発するなりしなきゃならないところでした。

仮に回答待ちで作図が1日遅れたところで、現場のトラブルで1週間も10日も工程が先延ばしになったり、持ち出し費用が発生するような「手戻り」よりはるかにマシです。

「ホウレンソウ」で言えば、私は「予定通り作図完了しました。工場のほうに出図しますよ。」という「(形だけ)良い報告をする」ことにとらわれて、大変狭い視野で仕事をしていた、というわけです。

「ホウレンソウ」をすべきタイミング

という例の通り、ことが起こってからあわてても遅いのです。トラブルの兆候があるとしたら、たとえそれが些細な、ともすると「そんなこともわからないの?」と聞き返されそうなことでも、疑問に思ったらその場ですぐにはっきり口に出して言うべきなんですね。

こういうことを経験して以降、当然のことながら支給図や顧客との打ち合わせ簿、注文内訳書など、手元に流れてくる資料にはガッチリ目を通すようになりましたし、怪しいところがあればその時点で関連部署・担当者(必要ならば直接お客さん)にもすぐ連絡・相談するようにもなりました。

「段取り八分」という言葉があります。こういうことをやっていれば必然的に実作業に取り掛かるのは遅くなるわけですが、トラブルや後始末を考えればそんな遅れは微々たるものだ、と身をもって知りましたから。

相談される方からすれば「こいついちいち面倒くさいヤツだな」と思われていたフシも無きにしもあらずです。そういう空気を感じると私もそれなりに痛いと感じはしましたけどね。それでも続けていけば、それが必要なことだというのも徐々にわかっていただけるようにはなったと思うんですけど。

それでも失敗するのが人間

では「事前のホウレンソウ」だけやっていれば良いか?そうではありません。

こういうことをやっていても完璧ではないのが人間です。トラブルは時として発生します。仕事が立て込めば注意力が散漫になり、つまらぬ凡ミスをすることもあります。トラブルの原因は必ずしも自分の内的なものでない場合だってあります。製作サイドのミスもあるし、お客さん側の急な計画変更も。

「人間は完璧ではない」というのが失敗の言い訳になっては、もちろんいけません。しかし「起こってしまった失敗」から得るものがあるならそれはそれで教訓とすべきです。

私がもうひとつ、先の件の失敗をして以降積極的に行ったのは「失敗を打ち明けること」です。重篤なものは当然ですが、図面や材料調書のことで言えば誤字脱字や、単なる足し算引き算のミス、気がつきさえすればいちいち上流にフィードバックしないで現場でなんとでもなるような軽微なことでも、ミスが発生したら必ず翌日の自部署のミーティングでは起こったミスの内容と原因、取った処置について報告するようにしました。

また仕事の性質上、対処にはほぼ間違いなく図面の変更が伴うのですが、それを記載した「図面変更通知書」についても、些細なものでも全て記録を残しました。もともとISOで規定された社内文書で形だけはあったのですが、失敗隠したがる心理がはたらくせいか、あまり活用されていませんでした。

自分の失敗を赤裸々に語るのは最初はかなり気恥ずかしいものですが、都度の失敗の報告は間違いなく同僚に対しては注意の喚起になるし、変更通知書の綴りは「失敗事例集」として、誰かが新規案件に着手するときに起こりそうなトラブルをあらかじめ知ることで予防保全として役立つのです。

お客さんの前に立つことになる営業と共有すれば、事前のお客さんとの打ち合わせも単なる挨拶ではなく、より実のあるものになりますしね。製造サイドと共有すれば、実製作にかかる前に不安要素を再度確認するという「二重、三重のチェックの目」にもなるのです。

誰が率先して口火を切るべきか

最初の数ヶ月は案の定、私名義の変更通知書ばかりたまって行きましたが、次第にそれも部内に浸透するようになりました。驚くことにいち早く同様のことをするようになったのは私の後輩に当たる若い社員でした。

私がこんなことをやりだしたのは、仕事を上手く回そうという前向きな精神より、むしろB型ならではの天邪鬼な性格に起因するところが大きかったと思うのですが、理想を言うならばこういったことは管理・監督職、「プレイングマネージャー」的な人ほど率先して行うべきでしょう。

先ほども述べた通り人の心理として失敗というものは口に出したくないというのが本音です。失敗があらわになるとそれを攻め立てらる人も現れますし、実際それを体感してしまうといよいよ萎縮してしまいますから。。

で、最初は上の人たちも「なんでそんな失敗した?」「今後は気をつけろ」的な単なる口頭注意がほとんどだったんですが、2,3人こういうことをやりだすと、根本原因はなんだったのか、とか同様の案件のときは何に注意をすべきか、事前打合せで明確にすべきことは何か、とか個人批判ではない前向きな話も徐々に話しにのぼるようになりました。

実際にこういうことをやってみたらミスやクレームの件数は0にこそなりませんでしたが確実に減りました。またその内容についても重篤なものは圧倒的に少なくなりました。

後に後輩達の話を聞いたらやっぱり「いやー、最初は正直恥ずかしいし面倒くさかったけどゴロドクさんがやってたから言っちゃっても大丈夫かな、と…」というようなことを言っていました。特に私から真似しろ、とは言わなかったんですけど。

ゆえにプレイングマネージャー(私はちょっと立場は違ったけど)が率先して自分の失敗やかかえる問題を人に見えるように具現化・明文化することで周りの人間も感化され、単なる批判・注意ではなく問題を正面からとらえて解決を図ろうという、実体をともなった、建設的な企業風土が育つのではないでしょうか。

もちろん私もこういったことの発信源であるとドヤ顔で言うような立場でもありません。なにせ私自身も冒頭の先輩職員の言葉に感化された者であるわけですから。

流行のフレーズやバズワードで固められた経営論・組織論は傍から見ればとても「格好のよい、立派な大樹」に見えることもあります。しかし大きな根を支える土壌をつくるには、多少手足を泥まみれにしても鍬で土を掘り起こして肥料をすきこみ、水をまいてあげないといけません。時間もかかります。実体をともなわない空論は、見る人が見れば格好が良いというよりはこっけいに見えることだってありますしね。

まとめ

このように適切な職位のものが、適切なタイミングで「ホウレンソウ」を行うことで、仕事をスムーズに動かすための好循環を生み出すことが出来るようになります。これを形だけで間違った方向に進めてしまうと「臭いものに蓋」という全く逆の悪循環になってしまいます。

もし、あなたが管理すべき職場が上手くコミニュケーションが取れていない、円滑に業務が進んでいないと感じているならば、いま一度自分自身があるべき「ホウレンソウ」を実践できているか、問題改善がただの批判、罵倒になっていないか、それを通じて職場内で「本当に言うべきことを言える空気になっているか」ということを見直してみる必要があるかもしれません。

活発な議論を行うことと、個々が放言することは似ているようで全く違います。私の場合は企業内のことでしたが、フリーランサーがプロジェクトを組んで仕事をするときも似たようなものでしょう。良いチーム・組織というのは単に個々の技量が高いというだけでなく、扱いの難しい、いわば「言いがたい、嫌なこと」こそ率直に速やかに協議できるような深い信頼関係が必要でしょう。良いことばかり取り上げて「いいね!いいね!」と言っているようでは先が思いやられます(だから私はFBの「いいね!」は嫌…いや、どうでもいいね!)。

そのためには、核となる人物が自らをさらけ出す、おそらく斜め上に行っているであろう「プライド」を捨てる、というある種の「覚悟」が必要だと思うのですが、皆さんはいかがお考えでしょうか。

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