雑誌バックナンバーで『あの頃』を振り返る~モデルグラフィックス1991編

先日実家の地下室で、結婚前から置きっぱなしで引越し後も放置してあった古い雑誌類を整理。

DESIGNPLEXとかWinGraphicのほか、かなりの量の模型誌を発掘しました。

昔々、私はモデルグラフィックス(以下MG誌)とその姉妹紙を中心に買ってまして、捨てずにとっておいたのが3,40冊ほど。今回はその中からMG本誌vol.85(1991年11月号)「史上最強のF-1特集」を振り返ってみたいと思います。あぁなつかしい。

スポンサーリンク

まだバブルの余韻華やかなりし1991年

1991年と言えば今(2012年)から21年も前のことです。私は高校2年生ぐらいでしたか。その年に生まれた子はもう成人してるのか…時の流れはあっという間です。

バブル終焉の足音がひっそりと近づく中(といっても当時はそれに気づいている人は少なかったでしょうが)F-1グランプリも大変なブームでした。ネットもCS・BSも普及してない中、私と同じ世代のみなさんは夜な夜なフジテレビ(国内独占配信だった)にかじりついていたことでしょう。

あまりに流行りすぎて自動車がガソリンで走ることすら知らない(だって自動車は『アッシー』が転がすものだからね!)ワンレンボディコンおねーさん家になぜかフェラーリ641/2のぬいぐるみが置いてあったり、鈴鹿グランプリのチケットがとんでもない抽選確率でしか手に入らないため転売転売を繰り返す超プラチナチケットだったり、チャリを全速力でこぐ小学生がT-SQUAREの「truth」を鼻歌で歌ってたりと、その異常な過熱ぶりはちょっと今の若者には想像つかないかもしれません。

ドライバーに注目するとセナ、プロスト、マンセル、アレジピケあたりがトップドライバーでシューマッハーなんか参戦したての坊やだったころです。

模型誌のほうにも当然その流れは波及してこの辺りから数年間、MG誌ではシーズン終わりの10~11月号くらいにF-1大特集をやるようになりました。

さて前置きが長くなりましたがここから誌面の紹介を。この号はそのシーズン中に活動してたマシンの作例と読者投稿のコンテスト、その他F-1関係のコラム記事で実に誌面の半分以上を割いていました。1特集でこれだけのボリュームは当時なかなか珍しかったと思います。

その中から一部iPhoneで撮影したページを紹介。ホントはスキャンしたほうがラクで綺麗なんですが一応著作物と言うことで…よって画像の拡大表示もできません。あしからず。

巻頭作例集

みなさんご存知マクラーレンMP4/6。この年のドライバーはセナ/ベルガー。ファーストドライバーはもちろんセナで開幕4連勝で一気に勢いをつけ自身3度目のドライバーズ・タイトルの座を手にしました。ベルガーとの1・2フィニッシュの常勝チームで、コンストラクターズ・タイトルも奪取しています。

ホンダがエンジンサプライヤーであったこともあって日本国内での認知度はダントツでした。

紅白の単純でありながら美しいカラーリングで当時のF-1ブームの象徴的なマシンである種の記号化されたものでもあったと思います。

田宮模型からは1/12サイズのキットが当時12,000円くらいで発売されていたと記憶しています。人気車であったにもかかわらず1/20は前年のMP4/5Bと翌年のMP4/7の間でなぜか欠落していました。不思議ですね。

ベネトンB191。フロントノーズを持ち上げるスタイルはこの前年くらいからトレンドになりつつあったのですが、ウィングを思いっきり板で吊り下げたのが特徴的なフォルムです。

シーズン途中よりドライバーがモレノからシューマッハーに交代。移籍後最初のイタリアグランプリで同僚ピケ(もちろん彼がファーストドライバー)を上回って5位入賞を果たした、初ポイントゲットの記念すべきマシンです。

ジョーダン191。ジョーダン・グランプリというチーム名でこのシーズンからF-1参戦しました。開幕ギリギリまでスポンサーが付かずテスト走行ではカーボンファイバー柄のわずかに見える、無塗装(と思われる)の真っ黒な姿で走っていましたがなんとかギリギリでペプシ・コーラがスポンサーに名乗りを上げました。

そんなわけでそれ以外のスポンサーはほとんどなく、ペプシの商品である7upのカラーの、レーシングカーにしては珍しいほぼ真緑1色のマシンです(サイドポンツーン側面に青入ってるけど)。

シューマッハがF-3000からF-1へ移行しデビューしたのもこのマシン。とはいっても1戦だけで上述したようにすぐにベネトンに移籍したんですけどね。残念ながらこのときはクラッチトラブル(つーか壊した?)で完走どころか1周すら出来ませんでした。なんともほろ苦いデビューです。

ティレルホンダ020。日本人初のF-1ドライバー中嶋悟が搭乗し、また引退を飾ったマシンです。

ティレル(タイレル)といえばフロント四輪リア二輪の”シックスホイラー”みたいなみょうちきりんなマシンで有名(?)でしたが020は奇をてらったとこもなく、オーソドックスであるも空力的に有効でトレンドになりつつあったアンヘドラルウィングを前モデルの019から引き継いだ比較的完成度の高い車両だったと記憶しています。

で、この年からエンジンをホンダに積み換えて大活躍…かと思いきやフロントウイング縮小のレギュレーション変更とそれにともなうギヤボックストラブル、また上位チームに比較してパワー不足の否めないエンジン(マクラーレンがV12であったのに対しティレルはV10、気筒数=パワーでもないけどね)で思ったような成績は残せませんでした。

ブラウンがスポンサーで、ガンメタリックに白い帯というこれまた落ち着いた雰囲気ながらも美しい外観で、田宮模型からも1/20キットが発売されていました。

私もこのキット作りまして、確か当時はシルクスクリーン印刷だかなんだか「透けない白のデカール」がウリだったような記憶があります。

塗装してそのデカールを貼り、最後のクリアー塗装をした直後…外で作業していたため風邪に煽られたボディが地面に落ち、丁寧な作業むなしく砂だらけになったという悲しい思い出の一品でもありました。

「あーオレ車とかバイクとかツルツルテカテカの塗装できねぇいんだ…」とこのあと自動車関係のスケールモデルは一度も作っておらずAFV(装甲戦闘車両)モデルに転向したのもこれキッカケだったなぁ。

あれ、こんなチーム&マシンあったっけ?モデナランボ291…です。

この時期はF-1初参戦の中小チームが現れては消えを繰り返す時期でもありました。モデナもランボールギーニが立ち上げたそんなチームその一つ。

平面形状こそ他の当時のマシンと似たり寄ったりですが、正面から見るとサイドポンツーンが水平ではなく「なで肩」なのが大変特徴的です。

特に目立った成績を上げることもなく、このシーズンのみで消えていきました。そもそも決勝に出たのが2車両で累計6回とか…まぁそんな感じですからみんな覚えちゃいないよね。

あれ、こんなチーム&マシンあったっけ?その2、フォンドメタルFOMET1-91です。

コチラもこの年F-1参戦、しかしながら翌年のシーズン終了を待たずに消えていきました。

多くのコンストラクターが2両体制でグランプリに臨む中、フォンドメタルは1両体制というなかなか無謀な挑戦。

一応決勝出場回数は上記のモデナよりは多いようですが成績のほうはパッとせず。マシンも1,2シーズン遅れななんともいえないデザインで印象に残っていませんねぇ。

読者投稿コンテスト

同時開催された読者コンテストは無改造ディティールアップのA部門、改造アリのB部門、スクラッチ(!)のC部門でそれぞれ競われました。

審査員がそれぞれの部門ごとにGP(10点)準GP(6点)…と採点し、その合計でグランプリを競うという、まぁ完全にブームにのっかった採点方式で安直やなぁというところもありますが、それでも当時は楽しく読んだものです。

これが総合グランプリの作品、ベネトンB186です。1/43とミニスケールのメタルキット(結構高価だけどこれもなぜか流行った)で内臓(エンジンとかなんとか)はなく基本塗装のみなんですが、アイテム選択と仕上げの丁寧さでグランプリを獲得。

この車両に限らずベネトンのマシンは艶やかなのが多かったですよね。

コチラはA部門の作品の一部。フェラーリ。F-1と言えばフェラーリ。カッコイイですねぇ…

B部門のグランプリは葉巻F-1のロータス。登場が1967年ともう45年も前のマシンです。実車は4シーズンほど改造を重ねつつ現役で走行、作品のような初期の形状からウィング付き車両へと改造されていったようです。

左ページ中段のレイトンハウスも眩しい。美しいカラーリングのマシンだと思います。成績はおいといて。

C部門の作品。左ページ下段のロータス101はピケと中嶋がそれぞれ4位入賞を果たした車両。ロータスのメインスポンサーにキャメルが付いていた時代が長く、ロータスと言えばキャメルイエロー、という世代も多いんじゃないでしょうか。

最後に審査員によるコンテスト総評が載ってたり。

それぞれの掲載ページにも各作品について寸評ついてるんです(写真では潰れて見えないと思いますが)が、寸評でえらい辛口のあさのまさひこが不掲載作品発生について総評でちょっとしたお詫びで結んでいるっていう…なんとも締まらない感じですが。せっかくこういう企画なのでもうちょっと実のある批評だとよかったんですけどね。

その他コラム記事など

タミヤ・ハセガワ・モデラーズと当時F-1モデルを販売していた大手メーカーの開発担当を集めての座談会。

上にもチラッと書きましたがこの辺のメーカーが出すF-1キットは1/20が主流だったのですが、金属製でパーツをハンダ付けして接合すると言う1/43ミニスケールのメタルキットも大いに流行ってました。たしか未組み立てのキット1台5,000円とか6,000円とかしたはずです。

模型屋さんに行くとこれの完成品がショーケースにズラっと並んでて1台10,000円~とか、そんな値段で売られてました。で、買う人はやっぱり1台だけじゃ物足りなくてコレクションしちゃうと言う…

これが今で言うヤフオクでガンプラの完成品買うのと同じ感覚かと言うと、高価であることは同じでも微妙にニュアンスが違ったりしまして…上手く説明できないんですがね。

今にして思えば完成品のクオリティもピンキリでデカール一つとってもクリア吹きも段差処理もしてないような出来でもマクラーレンやフェラーリ、ウィリアムズといった人気アイテムはそこそこの価格が付いていたりと、それでも商売が成立していたなんともバブリーな時代でした。

そんな中ひっそりと誌面後半にAFVの記事もあり、小林源文の劇画連載「ハッピータイガー 」なんかもあり。

F-1ブームの裏で冬の時代を迎えていたAFVモデルですがこのあとタミヤのリニューアルキット市場投入とドラゴンモデルの攻勢で奇跡的に息を吹き返し姉妹誌としてAFV専門の「アーマーモデリング」が登場するのですが、またそれは別のお話。

まとめ

以上駆け足で振り返ってみた1991年11月のモデルグラフィックス誌でした。

別に回顧主義者じゃないんですが、こういうの見返すと時代の華やかな空気を思い出します。まさかこのあとに日本が「失われた20年」を経験することになるとは誰も予想だにしなかったでしょうなぁ、特にショボ完成品で潤っていたショップw

F-1について見るとこの数年後にアイルトン・セナの事故死がありそれを機にレギュレーションはパワー/スピード規制の方向に動きます。マシンは細々とした空力パーツにデコレーションされてなんだか良くわからない「板の集合体」になっていきます。技術としては進歩してすごいことやってるんでしょうけど、なんというか上手く言えないんですけど昔の「存在感」の様なものは失われていった気はします。

私自身の興味もAFVの方へ移り(さらにその後プラモデル自体から離れる)すっかりF-1などは疎くなってしまいましたが、こんなものを発掘したのをきっかけにたまにはレ-スの中継くらいは見てみようかなぁ、なんて思いました。

皆さんもたまに自分の書庫見返してみると面白い発見があるかもしれませんよ。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク