歴史大好きあーりー(@aisunoa)君が宮本武蔵『五輪書』の現代語訳を始めたので一度ここで紹介しておきたいと思います。
あんまり人の宣伝とかしてもしゃあないなといつも思ってるんですが、これは面白いことになりそうなので。
コレなら力抜いて読めるな
『五輪書』の現代語訳と言ってもお堅い感じじゃありません。本人も言ってる通りゆる~い感じなのですんなり入ってきますな。さすがあーりー。物書きは違うぜ。
現在のところ訳文で9編ほど進んでます。彼のブログあーりーダイアリーで公開中です。リストは以下の通り。
その1~4が序文の一~四、5~9が地の巻の一~五となっております。リンク飛んで読んでいただきたいのですが雰囲気知ってもらいたいので、以下に序文(一)だけ引用しておきます。
序文(一)
私のつくった兵法の道を、二天一流といいます。
長年がんばってきました。今回その内容をはじめて本にしようと思います。
本を書くにあたって、1643年10月上旬、九州の山にのぼり、天をおがみ、観音に礼し、仏前にむかいました。
さて、まずは自己紹介をしますね。
わたしの名前は、新免武蔵守藤原玄信(宮本武蔵)といいます。60歳です。
わたしは若いころから、武芸の道を心がけてきました。
13歳のときに初めて勝負をしました。相手は、有馬喜兵衛という武芸者でした。わたしは彼に勝ちました。
16歳のとき、秋山という名前の、力のつよい武芸者に勝ちました。
21歳のとき、京都にのぼって天下の武芸者たちと出会い、たくさんの勝負をして、すべてに勝ちました。
その後、全国各地をまわり、いろいろな流派の武芸者と出会い、60回以上の勝負をしました。それでも1度も負けたことはありませんでした。
以上のことは、13歳から、28、29歳くらいまでの出来事です。
30歳を超えたとき、ふと、それまでの自分をふりかえってみました。
そして、こんなふうに考えました。
これまでの戦いですべての人に勝てたのは、けっして自分の武芸がすぐれていたからではない。天性のカンのようなもので、たまたま勝てたのか。あるいは、相手が力不足だったのか。
それからというもの、さらに稽古にはげみました。
ようやく武芸の道を身につけたのは、50歳になってからでした。
(つづく)
ね、ゆるいでしょ。
一応目次ページも挙げておきます。
更新されたら随時こちらのページに追加されてくものと思われます(だよね?)のでこれをブックマークしておくと良いと思います。
単純に読みものとして面白いのでそのまま読んでもらえればそれで良いでしょうし、名の通った武芸者の話ですから、そこからなにがしか教訓を得られるものならそれはそれで良いでしょう。ま、あまり堅苦しく読まないほうが良いですね。
というわけで読み手の私もゆるく構えております。続編楽しみにしております。ではまた。
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