我が国の自衛隊は今日から国防軍になりました

雑談ログ

武装国家なのに軍を保有していないと言い続ける我が国。ウソも言い続ければ本当になる…っていうのは通用しないと思うんですよね。

いつかどこかでこのことは書いておかねば…と思っておりました。

自衛隊とは何か

我が国唯一の法定実力組織、自衛隊。彼らは一体何者なのか、法律上はこんなことになっています。

第一章 総則

(この法律の目的)

第一条  この法律は、自衛隊の任務、自衛隊の部隊の組織及び編成、自衛隊の行動及び権限、隊員の身分取扱等を定めることを目的とする。

(定義)

第二条  この法律において「自衛隊」とは、防衛大臣、防衛副大臣、防衛大臣政務官、防衛大臣補佐官及び防衛大臣秘書官並びに防衛省の事務次官並びに防衛省の内部部局、防衛大学校、防衛医科大学校、防衛会議、統合幕僚監部、情報本部、技術研究本部、装備施設本部、防衛監察本部、地方防衛局その他の機関(政令で定める合議制の機関並びに防衛省設置法 (昭和二十九年法律第百六十四号)第四条第二十四号 又は第二十五号 に掲げる事務をつかさどる部局及び職で政令で定めるものを除く。)並びに陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊を含むものとする。

2  この法律において「陸上自衛隊」とは、陸上幕僚監部並びに統合幕僚長及び陸上幕僚長の監督を受ける部隊及び機関を含むものとする。

3  この法律において「海上自衛隊」とは、海上幕僚監部並びに統合幕僚長及び海上幕僚長の監督を受ける部隊及び機関を含むものとする。

4  この法律において「航空自衛隊」とは、航空幕僚監部並びに統合幕僚長及び航空幕僚長の監督を受ける部隊及び機関を含むものとする。

5  この法律(第九十四条の六第三号を除く。)において「隊員」とは、防衛省の職員で、防衛大臣、防衛副大臣、防衛大臣政務官、防衛大臣補佐官、防衛大臣秘書官、第一項の政令で定める合議制の機関の委員、同項の政令で定める部局に勤務する職員及び同項の政令で定める職にある職員以外のものをいうものとする。

(自衛隊の任務)

第三条  自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。

2  自衛隊は、前項に規定するもののほか、同項の主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、かつ、武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において、次に掲げる活動であつて、別に法律で定めるところにより自衛隊が実施することとされるものを行うことを任務とする。

一  我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に対応して行う我が国の平和及び安全の確保に資する活動

二  国際連合を中心とした国際平和のための取組への寄与その他の国際協力の推進を通じて我が国を含む国際社会の平和及び安全の維持に資する活動

3  陸上自衛隊は主として陸において、海上自衛隊は主として海において、航空自衛隊は主として空においてそれぞれ行動することを任務とする。

(中略)

第二章 指揮監督

(内閣総理大臣の指揮監督権)

第七条  内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する。

(防衛大臣の指揮監督権)

第八条  防衛大臣は、この法律の定めるところに従い、自衛隊の隊務を統括する。ただし、陸上自衛隊、海上自衛隊又は航空自衛隊の部隊及び機関(以下「部隊等」という。)に対する防衛大臣の指揮監督は、次の各号に掲げる隊務の区分に応じ、当該各号に定める者を通じて行うものとする。

一  統合幕僚監部の所掌事務に係る陸上自衛隊、海上自衛隊又は航空自衛隊の隊務 統合幕僚長

二  陸上幕僚監部の所掌事務に係る陸上自衛隊の隊務 陸上幕僚長

三  海上幕僚監部の所掌事務に係る海上自衛隊の隊務 海上幕僚長

四  航空幕僚監部の所掌事務に係る航空自衛隊の隊務 航空幕僚長

(以下略)

以上、自衛隊法より一部抜粋。

第3条を見れば明らかですが、自衛隊は他国軍からの侵略を受けた際に迎え撃たねばならない軍隊です。軍隊。でも軍隊と名乗れない。なぜなら

第二章 戦争の放棄

第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

皆さんご存知憲法第9条です。自称平和主義者の大好きな第9条。

自称平和主義者はこの9条に基づいて、軍事力としての自衛隊は違憲であるので存在してはならないと言います。

いつも思うのですが、彼らは他国から侵略を受けたときにどうすればいいと思ってるんでしょうか。ライフルを頭に突きつけられたら自ら撃たれることが立派なことで、そうすることで平和に近づくと思ってるのでしょうか。

時にこんなはぐらかしを受けることもあります、「交戦状態にならないように外交を行ってこその真の平和だ、武力に頼ってはいけない」と。

ちょっとまって、そもそも外交と戦争が別のものだと思ってるんでしょうか。外交交渉とは聞こえはいいですが中身は資源と食料と通貨の奪い合いです。もちろん交渉で済むならそれに越したことはない。しかし、隣の人がどうしても私のものが欲しいといって殴りかかってくるということもあるのです。

私の持ってるものが例えば美味しい果物で、それが欲しいというのなら「これはあげるので殴らないで下さい」というかもしれません。あるいは代わりに相手の持つ美しい宝石と交換することを提案するかも。交渉が成立すればケンカには発展しません。しかし相手が奴隷として私の娘を欲しいといったら?

それは渡すわけには行きません。例えどんな対価を用意されても。そんなとき私は当然のように私は私と娘の身を守ります。殴られれば殴り返します、相手が引くまで。娘を失うわけにはいかないですからね。

外交も同じです。交渉でうまくいかないときに最終的に交戦状態となるのです。戦争だけが別物ではなく、外交の延長にあるものなのです。

戦争と軍隊、平和と不戦主義の違いを知るべきだ

あるいは私が筋骨隆々のマッチョな人間なら、私のものを欲しいという人も、あえて私にケンカを吹っかけてきたりはしないでしょう(あ、リアルの私はナヨヒョロですよ、念のため)。

軍隊が存在する意義はここにもあります。つまり、こいつと戦っても勝ち目はないと相手に思わせることで戦いを回避する、という。いわばハッタリです。

ハッタリと言うと語弊があるかもしれませんが、他国の侵略意欲をそぐことでそもそも交戦状態となることを防ぐことです。これは私の考えですが、軍隊が存在する第一の目的こそこれなのではないかと。逆に、他国に侵略を受けたとしたら、その時点で軍の第一の任務は失敗に終わっているのです。

現実の事象は複雑に絡み合っています。軍隊があるから戦争が起こるわけでもないし、不戦を誓っても必ずしも平和なわけではありません。略奪者のいない世界は理想郷ですが、現実の世界では決してそうではないのです。

略奪というと物質的な何かを連想しますが、思想・風俗・文化・宗教の強制も、自国の独自文化喪失という点で同じだと思います。私が今言った略奪の中にはこれらも含まれます。

銃が人を撃つのではない、人が人を撃つのだ

米国の銃器産業のロビイスト達がしばしば口にする言葉で「銃が人を撃つのではない、人が人を撃つのだ」というものがあります。

銃があるから殺人が起こるのではなく、引き金を引くのは人なのだから銃そのものが悪なのではない、という自産業の正当性を示すために言われるのですが、私はこの言葉が嫌いです。

銃規制は(やろうと思えば)法律で一斉に規制可能であり、強制力も発揮できる国内問題です。ゆえにこの言葉は単に産業保護の隠れ蓑にするためのスローガンでしかありません。

しかし、こと戦争と軍隊に関してはこれがよく当てはまります。

たとえ国家が軍隊を持たず軍備を所持していなくても、侵略を受ければ我々自身が反攻せねばなりません。逃げるという選択肢が許されるのならばそれが最上ですが、そうでないならば壕を掘って迫り来るものを足止め、石を投擲し、時に棒の様なものを振り下ろして侵略を退けねばなりません。勝ち目はなきに等しいですが。

今私たちがせずに済んでいるのは自衛隊という組織が我が国を防衛するに足る実力を備えている(無論それだけではありません、米国との軍事同盟も大きな力を持っています)ことを諸外国に発信できているからにほかなりません。

そのような現実を見て、それでもまだ「日本は非武装、自衛隊は平和のために解体すべきだ」というのでしょうか。反戦を唱える自称平和主義者ですら今現在こうしてその庇護の下にいるのです。本人の意思に反していても。

あらためて冒頭の自衛隊法を改めて見ていただいて、隊の総指揮権は内閣総理大臣にある、と書いてあります。行政の長たる総理大臣は我が国では直接選挙で選ばれるわけではありませんが、立法府たる国会の指名で選出されます。その国会議員は国民の直接投票にて選出されています。

これが何を意味しているのかというと、我々国民の一人一人に、間接的ではあれ我が国の軍隊たる自衛隊の存在について、権利のみならず責任も負っている、ということです。銃を持ちながらもその引き金を引くかという責任を。

自衛隊が専守防衛に徹する国防軍たれるかは、その存在の良否の議論ではなく、我々自身の決断に大いに依存しているのです。

自衛隊の中の人

わー、ここまで書くとなんか私はバリバリ右よりの人見たいだな…決してそんなことはないんですよ。尊皇派でもありません。戦争はキライです。当たり前ですね。

さて私の生まれ育った北海道の旭川というところは陸上自衛隊第2師団の駐屯地があり司令部もそこに置かれています。

以前は普通科(歩兵)中心に編成されていましたが、平成9年頃から普通化の規模を一部縮小し、特科(砲兵)や戦車連隊に若干比重を移し始めました。

PKOでカンボジアだルワンダだイラク復興支援だと何かと尖兵として駆り出される皆さんです。冷戦時代にはソヴェト連邦の北方侵攻と最初に対峙するのもここの想定でした。

そんな自衛官・自衛隊員の皆さんは入隊のときにこんなものを書きます。

宣 誓

私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。

自衛隊法施行規則より。入隊時の宣誓書です。

憲法9条と自衛隊法が矛盾してるのなんて読めば明らかなのに「日本国憲法及び法令を遵守」し、「事に臨んでは危険を顧みず、『身をもつて』責務の完遂に務め」なきゃならないんです。

はっきり言えば違憲組織だ暴力装置だと一部国民にワーワー文句言われながらも戦争になったら死んでも一切文句いいません、ってことを誓うんですよ。

私は今旭川の隣町に住んでますが、師団駐屯地にもほど近くご近所さんにも自衛官・自衛隊員がけっこういます。

自衛官は暴力団員では決してないし、家族がいて子供もいます。学校や町内の行事でも顔をあわせます。みんな普通の市民と何も変わらんのです。そんな人たちが有事になったら真っ先に死ににいかねばならないのです。そんな彼らを日陰者扱いするのは狂気の沙汰としか私には思えません。

シビリアンコントロール(文民統制)とは政治が軍に優越し、統制するということです。自衛隊も政治・行政によって指揮されているのは自衛隊法に書いてあるとおりです。繰り返しになりますがその責任を負っているのは我々国民の一人一人です。

北も南も西も相変わらず我が国は領土問題を抱えています。実力行使をしないからと言って平和かというと必ずしも恒久のものではありません、火種は常にくすぶっています。実体として軍隊でありながら軍隊ではない自衛隊。ゆえに違憲組織であると指をさされる自衛隊。そんな彼らに守られながら私たちは今日も生きています。

まとめ

銃後で文句を言うのは簡単ですが、権利の上にあぐらをかいていないでもう一度自分の責任というものを考えて見ましょう。

補足:アイキャッチ画像について

今回のアイキャッチ画像は【陸上自衛隊第2師団ウェブページ・写真馬鹿】より転載しました。営利利用は不可です。興味のある方はどうぞ。

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