宗教が私を救わないたった一つの理由

雑談ログ

なんかアレだなー、特に嫌なことがある(あるいはあった)わけじゃないんだけど定期的にどんよりした気分になるのよね、別に鬱とかではないと思うんだけど。ゴロドクです、どうも。

人間の生死感とか、まぁそんなものブログで書いてもしょうがないってわかってるんだけどね。人間は死んだらどうなるかとかそういった話。

【注記】暗くて陰鬱で中身がなくてしかも結論もない話ですので、普通の人は読まないほうが良いかもしれない記事です。

人は死んだらどうなるか

人は死んだら肉の塊になります。

死ぬとだいたいの場合、その人の葬儀が粛々と執り行われます。

愛されて死んだ人なら、周りにたくさん泣く人がいるかもしれませんね。

葬儀が終わったら日本の場合は荼毘にふされます。要するに火葬。火葬されるとどうなるか。

肉体を構成している物質が燃焼するので、ほとん酸化反応で酸素と結合して他の物質になります。

形態としては灰になったり、煙になったり。

あと水分は蒸発して煙と一緒に火葬場の外に飛んで行きます多分。

火葬が終わると火葬台には焼け残った白骨だけがただそこにあります。

親族がお骨を拾って骨壷に入れます。

で、仏教あたりだと納骨堂に納められたり、お墓の下に埋められたりします。他の宗教はわからん。

日本は法律的なアレがあるので宗教に関わらず大抵火葬すると思います。

キリスト教圏では遺体はそのまま埋葬するんでしたっけ。

そんな感じで焼くか焼かないかわからないけど、どちらにしても肉か骨になって埋められたり仕舞われたりします。

期間限定で生きてます

そんなわけで人は死ぬと形態はどうあれただの物質に戻ります。死んだ人がむくりと起き上がって飛んだり跳ねたりはしません。少なくともそういう場面に私はお目にかかったことがありません。

「私」というのは私の肉体の中の脳内の、神経物質間の電気信号授受という現象なので私が死ぬと多分私はいなくなります。あ、私だけじゃなくてあなたもだと思いますけど。

人間は生きている以上必ず死にます。死に向かって生きていると言っても良いかもしれない。

で、なんとなく日本の、ある程度高等であると言われる教育を受けてきた一人として、この死んだ後のプロセスを見る限り死者の甦りとか魂とかそういったものってまったく理解できないわけです。

そういう知識を前提にものを考えるものですから、来世とか生まれ変わりって言うものを信じられないので、「生きている」ってのは本当に今、この瞬間とあとのいくらかの時間しかないんだな、と感じてしまう。だから死ぬことが怖いです。たぶん普通の人の3倍(オレ調べ赤い彗星並み)くらい私は怖いと感じてると思います。

余談ですが、死んで棺に入れられて、でも自我の認識があって、火葬場で焼かれて苦しんで…という嫌な夢を見て目覚めることもしばしばあります、私。死んだら私はいなくなるのに私がいて苦しむという矛盾した変な夢ですね。

こういう時代ですから科学とくに医学の分野の恩恵にあずかって、命を延ばすことも出来ます。

一方で科学的(と思われる)な知識のせいで「生きている」ことがごく限られた時間の出来事でしかないって認識になってしまいます。延長一切なし。ある意味潔し、か?

こういう時代に人間として生まれたことが幸福なのか不幸なのかよくわかりません。宗教が生活そのものの時代に生まれていたら、無邪気に輪廻転生を信じて、そういった死の恐怖に対する不安とは無縁でいられたのかもしれませんね。

自分の肉体を構成していた物質の一部は消えてなくなるわけじゃないので、いずれ何処かの時点でまた別の生命の構成物質になるかもしれません。しかし確実にそれは「私」ではないわけです。

私も年齢も年齢なので親類縁者の葬儀には何度となく参列していますが、葬儀のたびにそういった実感を深めるなぁ。そして「死んだら浄土で仏の弟子に云々」とか「神が救済されるまでしばし一時的な眠りに云々」とか「死んでヴァルハラへ云々」とかって、話を聞けば聞くほど絵空事にしか思えないわけです。

そんなわけでいくら宗教が魂の救済みたいな話をしても、私にとっては全然意味の無いことなのです。これが、宗教が私を救わない理由です。

まとめ

まあ時々突如として首をもたげる、私の死への漠然とした恐怖感ってのはちょっと異常な感じもしますが、まぁ上に書いたようなことは客観的にみてもだいたい正しい認識だと思います。この時代においては。

宗教家からは色々と異論はあろうと思いますが、少なくとも現代の科学で人間が観測できる範囲では生まれ変わりと言うものはありません。

かつ時間の流れは人間の認識の中においては少なくとも不可逆ですので、死に向かって一方的に流れていくのみ。

ということで、私もあなたもタイムリミットに刻々と近づいているわけですから、まぁ生きているうちにやりたい事をやったほうが良いんじゃないですかね、という話。科学マンセーとかそういうことじゃないです。

本当に個々人が好き勝手にやりたいことをやる世の中だとカオティックというかアナーキーな世界になってしまってそれはそれで困るんですがね。

私が本当にやりたいことってなんですかね。っていうかこの記事で何を述べたかったんでしょうね。自分でもよくわかんなくなっちゃった。まぁ陰惨なこんな考えも2,3日後には寝て忘れられると思う。多分。その忘れてる間が本当の幸せなのかもね。次は楽しい記事を書けたらいいなと思います。それじゃまた。

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