サラリーマンはシノギだとうそぶきつつ、相変わらず不良社員をやっています。そうです、私が変なおじさんです。
Maka-Veli.comさんに人の育成に関する面白い記事が上がってたのでそれを読んでの感想というか分析をつらつらと。
失敗のシチュエーション
該当記事はコチラです。
人の育成って大変。じゃあ何が大変かわかりますか? 理由の1つは「自分のモノサシ基準」が原因 / Maka-Veli .com
全文引用しないのでとりあえず読んでみてください。会社勤めする人はそれぞれ何か感ずるところがあるでしょう。
概要だけ紹介します。
登場人物
- まだキャリア浅いけど才能あふれるウェブデザイナーのA(女性)さん
- 中堅(と思しき)ディレクターでAさんの上司でもあるBさん
- さらにBさんの上司のCさん
シチュエーション
- クライアントと打合せをしたBさん。概略設計の段階でクライアントの意向と違うものを構築した
- Bさんはその概略設計に基づいてデザイナーAさんに指示を出した
- AさんはBさんの指示がクライアントの意向に沿わないことを知っていたが、Bさんの指示通りのデザインを行った
- クライアントにお目通ししたら要望と違うのでお叱りを受けた
- CさんはBさんを叱った
- CさんはAさんにも事情を聞いてみた
- Aさんは「間違いに気づいてたけど言われた通りにやりました」といった
- CさんはBさんを「チーム全体の責任だから」「わかっていたなら声がけを!」とAさんも叱った
- Aさん「自分が失敗したわけではないのに…ショボン」モチベーションダウン
とまぁだいたいこんな感じです。この場合どうすべきだったか、というmaka-veliさんの考える結論は元記事参照。
組織とシステムと教育
問題点がいくつかはらんでいる様なので、個別に考えてみましょう。
組織の問題
基本的に組織とは「上長の指揮最優先の原理」が働かねばならないことを忘れてはなりません。
AさんはBさんの直属の部下でありAさんの指揮権はBさんにあります。CさんもAさんから見れば上の階級、上司の上司です。しかしAさんがまず従うべき相手はBさんです。BさんとCさんがあい矛盾する命令をAさんに下達したとき、Aさんは最上級のCさんではなく、直属の上司であるBさんの指揮に従わなければならない、ということです。
組織においてはこのように責任と権限が明確になっていないと指揮命令系統が混乱してしまうので、形式ばって不毛にも見える原理ですがまず組織にいる全員がこれを認識し、徹底していなければなりません。
今回の例ではCさんがAさんを叱責しており、これは直接の命令行為ではないですがあまりうまいやり方ではありません。
CさんはAさんに事情を聴取するところまでで留めておくべきであり、Cさんは面倒でもBさんを経由してトラブル対応なり事後にあっては反省点の導きを行うべきでしょう。もしくは3者全員そろっているところで今回のトラブルについてCさんがBさんもAさんも直接指揮を取る「非常事態」を宣言すべきでした。
CさんはBさんもAさんも叱責してしまいました。確かに実行責任はBさんとAさんにありますが、結果責任についてはCさんがもっとも大きく負わねばならないのが組織というものです。ですからCさんは叱責の前にまず自分が行動して最優先事項 = トラブルの対処に当たらねばなりませんでした。それが理解できていないならばCさんはリーダーとしては不適格、ということになります。
システムとコミュニケーションの問題
AさんがBさんの誤りに気付いていながらそれを素通りした…というのはもちろん問題です。これについてはどのような改善を行えば良いでしょうか。ざっと見る限りここで欠けていたのは「チェック機構」でしょう。
Bさんがクライアントと打ち合わせた内容は明文化されていたでしょうか?チームで仕事をするならば用件定義は実務スタートの前に全員で共有されていなければなりませんが、この例はこれが欠けていた、ということです。
Bさんは、用件をリスト化し上司であるCさんにチェックをしてもらう。Aさんも実務に入る前に同じものについてチェックをする。様式はあってもなくても良いし、紙であってもPC上であっても構わないのですが、とにかく口頭ではなく振り返ることのできる履歴として残します。
A・B・Cさん各自用件について一通り目を通したら3者集まって疑義・不明点をどんな些細なことでも出し合う場を、実際に動き出す前に必ず設けなければなりません。
そして全員で打合せしたうえで落としどころを見つけるなり、クライアントに再確認するなりというアクションを起こします。もちろんこの結果についても履歴を残します。そしてこれらはルール化されて常に行われるべきです。
ここでは「どんな些細なことでも」というのがとても重要です。そしてそれはCさんやBさんから出るほど良いです。まだキャリアの浅いAさんにとっては先輩・上司が必ずしも迷いなく仕事しているわけ『ではない』というところを現に見てもらうのが教育の一環でもあります。
キャリアが長くても迷いは生ずるし、完全な知識を有しているわけでもありません。そんな場合どんな対処をするのかというのを実際に見て体験することで、きっとAさんも自発的な発言や確認行為もうながされ、コミニュケーションもよりスムーズになるでしょう。
誰にでも経験があることだと思いますが「命じられたことと違う意見があるんだけどな」「こんなこと聞いていいのかな?」「これ知らないって言ったら恥ずかしいかな?」なんて思ったことは幾度となくあるはず。キャリアの長いCさんやBさんは、過去の自分を思い出しこのような若い頃ならではの障壁をうまく取り払ってあげるくらいの配慮と器が必要です。
教育の問題
あらためて教育と言うと業務スキル向上を目的とした教育を思い浮かべる人も多いと思いますが、一方で人間教育も重要であることはこの例をみてもわかると思います。
ここで言う人間教育とは道徳や情緒的なことではなく、組織内での円滑な業務運営に関するスキル教育のことです。
もちろんこの人間教育が必要なのはAさんではなくCさんとBさんです。マネジメントは予算・工程・品質管理だけではなく資源としての人材管理も重要な仕事の一部です。
ところがひとつの会社という同じ環境の中では、ある程度キャリアのある人に対してさらに教育を行える人が少ない、あるいはいない、なんていう状況もザラだと思います。
そういった場合には外部講師を呼んで(あるいは外部イベント参加で)管理監督職向けに人材管理マネジメントやコミニュケーションに関する講習を受講するのが良いと思います。
会社のような閉塞した空間にいるとなかなか気づきにくいのですが「仕事をするための枠組みを作る仕事」については疎かになっているのが現実なんじゃないでしょうか。
仕事を回すべき人が回せない、だからうまくいかない。そういう人の背中を見て育つので次の世代もまたうまく仕事を回せない…という悪循環に陥り自己責任論だけが膨張するといつか組織は崩壊します。
上司が部下の見守り、指導しときに叱るのと同じように、組織の管理監督者あるいは組織そのものについても常あるものと違う目線で外部からの教育・指摘をもらうことで、新鮮な空気感を失わずに前向きな改善や実務における発想の豊かさ、円滑なコミニュケーションが保証されるのではないでしょうか。
時間と空間の共有
と言うようなことを踏まえて元記事の締めで引用されていた山本五十六の言葉を振り返って見ましょう。
やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
すごくしっくりきますね。
どんだけデータ通信が便利になって情報的距離が近くなっても、結局は物理的に時間や空間を共有するということの重みは変わらんということです。
人を育てるのにはすごく時間がかかります。育った人間がいつまでも同じ会社にいる保証もありません。でも教育の手を抜けば将来人的負債を抱えるのは確実です。
仕事の仕方やスタイルは人それぞれです。はっきり言って正解なんてありません。それでも部下の話を聞き、信頼して任せる、失敗はしかりつけるのではなく手をとってともに取り返す。よく出来たら褒める。
人間である以上時には感情的になることもあるし理想の上司である続けるのは難しいですが、これができるようになったらきっとその部下も将来良い上司になりますよ。
あと最後にこれだけは強く言っておきたい。山本五十六の五十六って名前、男前でカッコよすぎ。なんせ56DOCの56と同じですからね。つまりゴロドクさんも男前ということ!
というようなことを37歳最後の日に書いてみました。38歳になっても同じようにバカなこと言ってると思うので、だれか私にちゃんと道徳と情緒教育してくれる人を紹介してください。そんじゃ、また。
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