イタリアン乙の話ももうえぇかなと思いますが、追いオリーブで再燃焼してるようなので当事者じゃなくて周辺で燃焼している人たちについて一言だけ述べたいと思います。
私が救世主ネオ、私が世界を正しい方向に導く
【主張A】乙は弱者を装った強者である、ゆえにイタ店主は被害者である。乙を擁護するものは人権を振りかざす無法者であり、障害者は危険な存在である。
【主張B】イタ店主は障害者に理解のない人物である、ゆえに乙は被害者である。店主を擁護するものはバリアフリー社会の進展を阻む無法者であり、営利主義者は危険な存在である。
Aを主張する者にとってはその時自分自身はネオであり、乙擁護はエージェント・スミスでありマトリックスの住民です。
Bを主張する者にとってはその時自分自身はネオであり、イタ店主擁護はエージェント・スミスでありマトリックスの住民です。
ご存知の通りネオとスミスの本質は同じです。自分自身を他の誰かに上書きするという。
どちらの主張の場合でもその根拠にあるのは自分自身の内面から発生する正しさであって、必ずしも客観性を併せ持っているわけではありません。
というか客観的に正しい、ということは存在しえません。
といったことは冷静に考えれば当たり前すぎることなのですが、ことネット上では複製された「2種類の」スミスがギラギラとしております。そしてその誰もが自分はネオだ、と言っています。
炎上が終わるとスミスたちは姿を消して元の市民に戻ります。見かけは。かつ仮想空間で。
その仮想空間の中で市民は現実の豊かさを享受し、ときに悩み、ときに喜びます。
そして市民たちは次の炎上が来るとまたスミスになります。ネオと名乗るスミスに。彼らはここが仮想空間であることに気づいていません。
そんなことを繰り返し、起伏にとんだ人生の、炎上というハードルを越えるたびに市民はこう思います。「オレ、なんて意識高いんだろう」と。
そんな市民の皆さんに一言。
「それ現実じゃなくてウソ世界だから」
ちなみに映画マトリックスの中には仮想空間にもちゃんとホームレスがいましたね。世界全体が実態レスなんですけどね。面白い世界ですね、インターネッツ。
んじゃ。
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